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年が明けていよいよソチへのカウントダウンが本格化してきたと、新聞を見ても感じます。

今日から朝日新聞で連載が始まるようです。
荒川さんの記事が載ってました。

冬空に舞う
イナバウアー演じた理由 トリノ五輪金 荒川静香さん
ソチ五輪の開幕まで約一カ月。8年前、トリノ五輪でフィギュアスケート金メダルに輝いた荒川静香さん(32)が、五輪の魅力について、朝日新聞の取材に語った。世界を魅了した「イナバウアー」は本番のわずか一カ月前、演技に入れることを決めたという。そこに込めた思いを明かした。

イタリア・トリノのパラべラ競技場。2006年2月23日、荒川さんは表彰台の一番上に立った。日本フィギュア史上初の五輪金メダル。「信じられなかった。でも、滑っていてすごく心地良かった」
快挙を引き寄せた理由が、フリー演技で見せたイナバウアーに詰まっている。得点に加算されないと知りながら、あえて演じた理由がある。

「個性を出せ」
本番まで約一カ月のことだ。コーチのニコライ・モロゾフ氏が思いがけないことを口にした。「得点だけを重ねるのがフィギュアじゃない。技術性と芸術性が備わった競技だからこそ、個性を表現しろ」
得意にしていたイナバウアーの要求だった。
得点に一番こだわり続けたコーチの言葉に、荒川さんは驚き、反論した。「(イナバウアーの)直前の3連続ジャンプを確実に決めるには、やらない方がいいんじゃないですか」
コーチは言った。「トレードマークだろ。自分らしさを出せ」
その言葉が、五輪を目指す意味を思い出させてくれた。
ひらひらするスカートに憧れ、5歳でスケートを始め、七夕の短冊に「五輪に出たい」と書いて育った。
1998年の長野五輪。高校1年で出場したが、結果は13位。独特の空気と観客の多さに飲み込まれた。
「世界へのチャレンジで扉を開けたら、先の世界はあまりにも大きかった」そして「五輪には一度行けたから、もう満足」。02年のソルトレークは目指すこともしなかった。
「スケートより、地に足を付けた生活が大事」と大学へ進学した。両親への感謝があった。「老後のために貯金するべきお金を、一人っ子の私のスケートに投資してくれた。私が安定した仕事につかないと、将来支える人がいない」
大学2年の時、「長年やってきたスケートを納得できる形で終わりたい」と決める。すると、大学卒業式直後、04年世界選手権で優勝。だが、社会に出る同級生を横目に「スケートをしていていいのか」。そんな葛藤もあり、翌年の同じ大会で惨敗。だから「最後くらい、全力を尽くしてみよう」。そう思って目指したのがトリノだった。

心に残る演技
本番では、前半のショートプログラムを3位で折り返す。順位は考えないようにした。「『本当に自分が狙ってきたことは何なのか』って、何回も考えた」。優勝候補がジャンプで転倒しても、もう迷わない。
「『自分らしく、人の心に残る演技を』。そう誓ったのだから、他の目標を浮かべちゃいけない」
5秒足らずのイナバウアーに込めた思いだ。
振り返れば、試行錯誤の繰り返しだった。だから「五輪は、目指したすべてのアスリートに成長を促すのが最大の魅力」と確信している。目指した一日一日の積み重ねこそ「五輪」だったという。「本番は、その一日に過ぎないどれほど思いをかけて向き合ってきたかが大事」
大舞台に挑む選手たちに、伝えたいことがある。
「そのスポーツと出会って過ごせたことを、自分の財産にしてほしい。期待は、重圧を跳ね返してきた力があるからこそ。大丈夫。何も不安になることはない」(吉永岳央)



荒川さんにも葛藤があった。
迷いもあった。
これでいいのかって自問自答する日もあった。

最後は自分の気持ちひとつ。。。

成し遂げた人の言葉は重く心に響く。
アスリートではない私が読んでもズシッとくる。


あと一カ月。いつもならアッという間に来る日数。
でも、一日一日が重い。

ソチ五輪に出場する選手たちに与えられた時間は平等。

怪我明けの大ちゃん、腰痛をかかえた真央ちゃん。

今はどういう日を過ごしているのでしょう。

どうか、調整が上手くいきますように・・・




同じ新聞でだいまおみっけ

新聞(縮小)

嬉しくなってしまいました~


もちろん、そう思ってますとも




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テーマ:フィギュアスケート
ジャンル:スポーツ
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